たぶん、第2次ブームを経験した人のうちの何人かはそうであったと思うんだけど、僕はタミヤの人になりたかった。タミヤに勤めて、ミニ四駆をはじめプラモデルとかそういう類のものを設計したかった。
・手紙を書いたんだ
今でも覚えているのは、タミヤに「どうしたら入社できますか、働けますか」的な内容の手紙を書いたこと。変に行動力だけはあったんだよなこの時…。
同じような質問をしてくる子が全国からいたんだろうけど、タミヤの人には丁寧な回答をしてもらいました。工業系の高校や大学に進んで、計算処理とかができるようになってください、と。金型の工場は特にそっちの技術が必要ですよ、とも書かれていたように覚えている。
・ぼくは数学ができない
しかし数学ができなかった。-1×-1がなんでプラスになるのか、そんなところもよく分かっていないから、いろんなところで計算が駄目だった。文系脳の典型的な例であったのだ。証明問題とか、計算せよ問題はできるんだけど、場合分けとかそういう「自分で理屈を考えて解き進める」問題が駄目だった。これは今でも結構尾を引いている。
・結局進学校に進学しました
そんなわけで、あきらめたというよりも、そもそもスタートライン自体に立てなかった。結局その後進学校に進んで、それと合わせるように夢も封印してしまった。「アホなこと言ってないで勉強しよう…」みたいな。あるでしょ、自分のやってきたことが急に幼稚に見えてきて、それ以外の方向へ進もうとすることが。それがやってきて、いつのまにか忘れてしまっていた。
昨日あたりにいろいろ思い出したついでに頭に浮かんだので、つらつらと書いてみた。もしあのときあきらめずにいたら、就職できていたのだろうか。どうなんだろうなぁ。