このブログ名称が「コースありません」なのは、その名の通り身近な場所にミニ四駆用のコースがないことからきている。ちまたでは「第3次ブームだ!」とか言われているものの、今住んでいる町ではブームすら来ていない。むしろ「ミニ四駆って何?」か「ああ、まだあったんだ」という人の方が多い気がする。
で、だ。どのくらいコースと自分が無縁であるかを思い出してみたらこんな感じになった。半分くらいミニ四駆の思い出になった気がする。コースで遊んだことよりも、ミニ四駆の方がやはり強く記憶に残ってんだな…。
第2次ブーム以前
ダッシュ四駆郎とかスーパーミニ四駆のあたりか。この時代は私も「ミニ四駆って何?」的な子供だったため、単に作って走らせて終わりというもので、コースがあることも知らなかった。
スーパーエンペラーだっけ、タイプ3シャーシの。あの金具と電池が変にショートして液漏れをおこしてしまったことだけはよく覚えてる。結局組み立てたけど走らなかったなあれ。
レーサーミニ四駆シリーズ No.70 ダッシュ01号・超皇帝 (スーパーエンペラー) プレミアム (スーパーIIシャーシ) 18070
- 出版社/メーカー: タミヤ
- 発売日: 2012/04/14
- メディア: おもちゃ&ホビー
- クリック: 2回
- この商品を含むブログ (1件) を見る
↑こいつはリメイク版だけど。
第2次ブーム
当時の記憶が薄れつつあるので、それを残す意味も込めて覚えてる分を書いてみる。
・最初のマシンはマグナムセイバー
たしか雑誌『小学3年生』か『小学4年生』のどちらかで見たのが最初。いや、『コロコロコミック』だったかな。劇中の豪と年齢が近いこともあって、マグナムセイバー、モーターはレブチューンの組み合わせで作った気がする。
1/32 フルカウルミニ四駆シリーズ No.31 マグナムセイバー プレミアム (スーパーIIシャーシ)
- 出版社/メーカー: タミヤ
- 発売日: 2010/12/23
- メディア: おもちゃ&ホビー
- 購入: 1人 クリック: 2回
- この商品を含むブログを見る
なお完成してすぐに箪笥にぶつけてフロントバンパー大破した。ゼロシャーシ用の補強パーツを買いに行ったような気がする。このスーパー1シャーシの強度のなさはほんとどうにかならんかったのか…。
・続々出てくるマシンたち
スピンアックスやトライダガーXなど、漫画に出てくるマシンが次々にキット化されて、ようやくここら辺でブームになってきた気がする。ジワジワと。スピンアックスは地元のおもちゃ屋にまだ入荷して無くて、たまたま親父や弟と遊びに行った地方都市部のダイエーに売られているのを手に入れたように思う。たしかそのことは当時の「宿題の日記」にも書いてたな。
ブラックセイバーは買ったけどいい思い出がない。買って組み立てて友達に見せた後、蜂にうなじを刺された。今でもなんかここに残ってる。うん。
・溶岩に落とされるセイバー
いやああれは結構ショックだった。と同時に次に出てきたVマシンシリーズは衝撃的だった。登場シーンもあいまって一番記憶に残っているマシンかもしれない(たぶん一番好きなミニ四駆だと思う)。なお「あんな熱気でも溶けないコースの材質ってなんだよ」「そもそもあんなとこで走らせるなよ」なんて野暮なことを考えてはいけない。そのくらい勢いあったあのシーンは。
フルカウルミニ四駆シリーズ No.34 ビクトリーマグナム プレミア (カーボンスーパーIIシャーシ) 19434
- 出版社/メーカー: タミヤ
- 発売日: 2011/06/25
- メディア: おもちゃ&ホビー
- クリック: 2回
- この商品を含むブログを見る
『コロコロコミック』の付録にボックスアート下敷きがついてきたのもいい思い出。
なお当時クラスの旗を作ることになってデザイン案をみんなで出さなきゃならなくなったんだけど、何を考えたかボックスアートをトレースしたものを提出したことがある…ほんと何考えてたんだろうねあの頃(笑
・ビークスパイダー
スピンアックスの前輪部横のカウルにプラ板でとんがり付けたよね。キット出るまでは。
・ブロッケンG
「フロント部にモーターがある!すげえ!」買った。「スーパーFM」のFMってなんの略や?で友達と議論した。
・初レース参加
ようやくここでコースの話が出てくる。徐々にブームになりつつある頃に、玩具屋にて毎週末レースが開催されていることを知り、初参加したのが小学5年生のころ。Vマグナムにフロントスライドダンパー、モーターはレブ(相変わらず)、超速ギアの構成だったような気がする。その他のローラーは忘れた。タイムアタック形式でJCJCを3セットくらい組み合わせたコースだったような気がする。練習の時はうまくいったのに本番では走行方向が正反対になったため、2回チャレンジも即コースアウト。参加賞だけをもらって帰るという悲しい結果であった。
当時は週末に習字をしていたため、この玩具屋でのレース参加はこれっきりになってしまった。
・出ましたよサイクロンマグナム
この頃になるともう当時の小学生のほとんどはミニ四駆にはまっていて、お金を持ってる子は専用のケースを、そうでない子はアイリスオーヤマのケースなんかを使ってあちこちに持ち運んでいた。自分は後者で、工具用の箱だった。それでも入りきらないものは他の箱に無理矢理押し込んでいた気がする。
サイクロンマグナムは人気が凄かった。どの店に行っても売り切れであった。私はというと、当時熊本であったジャパンカップの先行販売に運良く手に入れることが出来た。それでも凄く並んだような記憶がある。
なお、その大会が開かれていた百貨店も今月で閉店だという。時代は変わるもんだ。
フルカウルミニ四駆シリーズ No.40 サイクロンマグナム プレミアム (ARシャーシ) 19440
- 出版社/メーカー: タミヤ
- 発売日: 2014/11/22
- メディア: おもちゃ&ホビー
- この商品を含むブログ (2件) を見る
なによりフロントバンパーの補強をそこまで悩まなくて良くなったよね。
・便乗な他社製品の登場とそれを搭載したマシンたち
ブームが過熱するにつれて、他社からも「似たような製品」 が発売された。通称パチ四駆。それから「鷹」とか「鷲」とか「狼」とかロゴが入った謎の高回転モーターシリーズ。当時のハイパーダッシュやマッハダッシュに比べて高回転なモーターで、それを搭載したマシンが野良レースに続出していた。父方祖父の家に近いちいさな百貨店で開催されたレースもそんなマシンだらけで、こっちは参加したものの即周回遅れになるパターンだった。正直つまんないと思うようになった。
・俺理論の完成
「レブチューンは高回転、しかしダッシュ力がない、しかしギア比を標準にしてやればダッシュ力を補えて加速力の高いマシンになる!直線で伸びる!」そんな俺理論ができあがり、標準ギア+小径+レブという組み合わせが完成した。結果は…言わなくてもわかるだろ!(笑
マグナム系を使ってたから、トルクチューンは積みたくなかったんだよ当時。だからといってハイパーダッシュはレギュレーション違反だからもっと積みたくなかった。ジャパンカップのレギュレーション準拠でマシン作ってた。だから余計、他社製モーター搭載マシンに負けることになった。そんなもんだよね。
あと空力理論?あれも信じていたなー。漫画の力は偉大だ。
・自作コース
コースがなければ作ればいいじゃん、てことでダンボールでコース作った。弟と。ベーシックな2レーンの八の字。確かブームの時、こうした自作コースの書籍も便乗して販売されていたように思う。
しかしできたコースで走らせるとコーナーでいつも引っかかる。段差のあるコーナーになってしまい、そこにローラーが引っかかるのだ。片ダンボールにしてやればうまく曲線に出来たんだろうけど、そこまで出来なかった。
なおこのコースは中学2年の時に引っ越すまで棄てずにとってあった。
・大人レーサーの登場
ブーム全盛期もちょっと過ぎた頃、今度は大人たちがマシンを作るようになった。野良レースも通称オヤジマシンだらけになっていた。小学5年生の頃は隣のクラスの若い先生が「2万円かけてつくったんやで〜」とブロッケンGを自慢していた。
・フルカウルからエアロ、新シャーシ群の登場
ここまでコースで走らせたのは計3回か4回。そもそもこの時代も近所にコースがなく、また習い事をしていたためにレースがあっても参加できずにいた。それでも新マシンが出たらとりあえず買って組み立てる、みたいなことはやっていた。コレクションというかまぁそんな感じだろう。
しかしエアロミニ四駆シリーズが出てきた頃から徐々に興味を失いはじめる。それまでの「フルカウル=空力性能が良い!」みたいな形で話が進んでいたのに、いきなりセミカウルマシンへシフトしていったことから、「それまでの流れはなんだったのよ」となっていった。
あと時を同じくして中学生になり、部活も始まって急にばかばかしくなってそのままミニ四駆をさわることがなくなってしまった。俺の中のミニ四駆はここで一旦途切れる。自分でも思い出して驚いたけど、ほんと唐突に終わってんだよね。あの頃のマシンなんかはどうしたんだっけか…捨てたっけ。覚えていない。
だからTwitterとかブログなんかで「実家で発掘しました!」みたいに当時のマシンを載せている人がうらやましくてしょうが無い。
第3次ブーム
これ5年前くらいからずーっと言われているような気がするんだけど、なかなか実感が湧かないのはやはり規模が第2次の頃に比べて小さいからなんだろう。そこら辺の思い出も。
・大学生・院生になりました
どうにか大学生になり、そのまま進学して院生に。精神の状態が怪しくなることもあったけど、そんなとき博物館系の授業で「あなたの思い出に残っているモノとそのエピソードを書きなさい」てのがあって、そこでミニ四駆と当時よく言っていた玩具屋のことを書いた。これがきっかけで「復帰」する。
・とはいえ工具も何もない
あれだけ買い集めた工具もみんなどこかへ行ってしまったので仕方なく買い直し。百均のニッパーとか。でも所詮百均。おかげでガタガタしたマシンを量産することになった。
・MSシャーシに感動する
今までみたことないシャーシと、「たからばこセッティング」が主流となっていて、何が何だかわかんなかったが、ネット時代になったおかげであれこれ調べてパーツを買いそろえることができた。MSで最初に作ったのはサンダーショットMK2。デザインが良かった。
もう一台組もうかな…。
その後はあれこれ買い込んでは組み立てて壊しての繰り返し。パーツ購入もネット通販で出来るようになって非常に便利な時代になったもんだ。でもコースがなかったんだよ。
・しかしコースがないんだよ
で、今に至る。結局新しい土地に出ても、コースが近所になかった。だから自分のマシンがどんな挙動をするか今でもわからないまま。タミヤサイトから探せるけど、一番近くても現住所から車で2時間という遠距離。どうなってんだこれ…。
思い出してみたら最後にレースで走らせたのが約20年前、コース自体は直近だと約半年前だがそれ以前だとやはり約20年前だ。そのくらいコースと無縁だったようだ。
実は今住んでいる所での勤務が今年3月までで、次の勤務地が地方都市部になるわけだが、そこでもコースが近いところにあるだろうか。今から探しておこうか。