別ブログでも書いたように、今日はわたしの誕生日だ。まあ年齢が年齢だけにあまり嬉しくもなくて、むしろ将来の不安とかそういうくらい話が見えているので喜ばしいことでもない。どこかの空戦野郎みたいに「キラキラ星人でして、30歳を過ぎたら年齢が1つずつ減っていくんですわ」とかいってみたいものだ。
いや今書いたけど。
この歳になると誕生日プレゼントどうする?という問題が結構出てくる。相手に贈るのもだけど自分の誕生日プレゼント。これが皆目わからない。相手へのプレゼントはサプライズ系はやめていて、「何か欲しいものある?」と直接聞くようにしている。その方がお互い「思ってたのとちゃうなあ」てのがないので。でもサプライズしようかなーと思い立った場合は、花を贈るようにしている。
で、どうしたものか。
欲しいものはたくさんあるよそりゃ。フィギュアもガンプラもデジタルガジェットもいっぱいある。
でもさあ、そういうのをねだって買ってもらうのってなんか違うよなあ、みたいな感情が出てくるわけですよ。
妻に「プレゼント何が欲しいの?」って先週からしつこく聞かれてるけど上手く答えられてない。予算どのくらいなのかとかそういうのを上手い具合に見計らわないと、要求しても却下という悲しい事態が起こり得る。
iPad欲しいと言っても「お金ないから無理!」「どこにそんなお金あるの!」と、こうなる。しかしわたしが欲しいのはだいたいその辺りの価格帯のものなのだ…なので自分で頑張ってお金貯めて買おうかと思っている。
だからといって服とか靴とかそういうのもちょっと違うなあって。
あんまり興味を持ってないし、今ある服がまだ着られるから別に追加しなくても…と思うわけだ。靴とか多少底が擦り切れてきたけどまだ十分履ける。そういや、数年前のプレゼントは腕時計のバンドだったな。1000円しないやつ。もらった瞬間「あ、ああ…そうかそういう扱いなのか」とか内心思ったところはあったけど。
こういうのはわたしの要求はほぼほぼ通らないものだ。もはや諦めというやつだ。
思えば、子供の頃からそんな感じだったなあ。誕生日プレゼントで欲しいものを買ってもらったとは思うし、確かにその時欲しかったオモチャだったりなんだったりしたわけだけど、一旦冷静になって考えてみると「あー…これ本当に欲しかったのかなあ」だの「欲しかったのアレだったけどなあ」だの考えてしまう性分だった。心のどこかに「…なんか違う」っていう違和感を抱いたような感じで。
小学4年生か5年生の時に買ってもらったスケボーはすぐに乗らなくなった。「プレゼント何が欲しいの?」と母親に詰め寄られて、とりあえず「プレゼントをもらって喜ぶ子供」の役割をこなしたかったのだと思う。結局スケボーは乗れないままゴミになった。そういうものがわんさかあった。
じゃあ本当に欲しいものって何かって話なんだけど、もしかしたらそういうものがないのかもしれない。もしくは自分でも手に入れられないと諦めているようなものか。自分で稼げるようになった今、自分で自分にプレゼントを贈るのが一番しっくりくるだろう。
とはいえ、使える金額にも限度があるから大したものは買えないのだが…いや、今年も買わないだろうと思う。元手が少なすぎる。
今一番欲しい、プレゼントされて嬉しいのは打ち出の小槌…かもしれない。
そんなものはないんだけど。